平戸市は、九州本土西端に位置する田平町と平戸島を含む4つの有人島が中心となっており、周囲を海に囲まれています。
人口はわずか35,000人足らずと小さな市ですが、海外との交易などによって受け継がれてきた多様な文物や文化が奏でる「歴史」、様々な宗教・信仰がある時は並存し、ある時は反発し合いながら出来上がった、こんにちの教会群、神社、仏閣がおりなす「祈り」、雄大な海と豊かな自然がもたらす豊富な農水産物の「恵み」。こうした魅力が融合した街です。
平戸は、遣唐使の時代から八百年にわたり、日本と中国大陸を結ぶ重要な対外航路「大洋路」の中継港の役割を果たしてきました。平戸が港市として最も繁栄したのが戦国期から江戸初期にかけてで、1550年には日本で最初にポルトガル船が入港し、1609年にはオランダ商館が置かれています。また平戸の人達も朱印船を仕立てて東南アジアを目指しました。
当時平戸には、中国人を初め、ポルトガル人、スペイン人、イギリス人、オランダ人たちが町中を行き交い、平戸の町人や全国から集まってきた商人達と、盛んに商売を行っていました。こうした貿易活動で海外からもたらされたものは、「茶」「南蛮菓子」「ビール」「さつまいも」など様々なものがあります。
こんにちの平戸を訪ねると、港を中心にして形成された特徴的な城下町の佇まいの中に、日宋貿易船が残した「碇石」、石造アーチ橋の「幸橋」、オランダ商館時代の「オランダ塀」が残り、港口には幕府に解体を命じられた壮大な商館倉庫が復元されています。皆さんも、港市平戸の千年の歴史を是非体感してください。
平戸を訪れると数多くの教会に出会います。教会の美しい外観、神秘的な雰囲気の内観に思わずうっとり魅入ってしまいます。時は1550年、イエズス会のザビエル神父が平戸でキリシタンの布教を始めます。1558年と65年には、生月島、度島、平戸島西岸で一斉改宗が行われ、村々には教会と十字架が建てられ、信者達はラテン語のオラショ(祈り)を唱えました。しかし平戸藩内は早くも1599年に禁教となり、ガスパル西玄可や中江ノ島の殉教なども起きます。寺院や神社も再興・新造されますが、多くの信者はそれらに帰依しながら、布教当時のキリシタンの組織や信仰形態を守り続けました。
現在、平戸の人口の約1/10がキリスト教を信仰し、13のカトリック教会があります。特に田平天主堂と宝亀教会は世界遺産構成資産候補として挙がっています。信仰の尊さを感じながら平戸の教会を巡ってみてはいかがですか?
平戸の1/5は西海国立公園に指定され、美しい海と大自然が広がっています。大草原が広がり、頂上からは辺りの海や島が一望できる絶景の「川内峠」、生月島の西側に広がるリアス式海岸の屈曲に富んだ海岸線の道路「サンセットウェイ」、長崎県で初めて国の重要文化的景観に選定された平戸島西部の棚田群(春日の棚田)や農漁村風景など、思わず感嘆してしまう数々の美しい自然風景に恵まれています。
「食」では、対馬暖流の影響を強け複雑な海岸地形や潮流の影響により九州でも屈指の好漁場が形成され、四季により様々な魚介類が水揚されています。主な産品として、出汁で知られる「トビウオ(あご)」、幻の魚「クエ(あら)」、高級魚「ヒラメ」、伊勢海老にも劣らぬ「ウチワエビ」などの多種の魚介類の他、黒毛和牛である「平戸牛」や山水で育てられた「平戸豚」棚田で育った「米」、赤土でじっくり育った「じゃがいも(馬鈴薯)」や「たまねぎ」「アスパラガス」などが代表として挙げられます。豊富な海の幸に、和牛の発祥と言われる平戸和牛をはじめとする農産物、シュガーロードの出発点として歴史のある平戸スイーツ。平戸は旨い「じげもん」 (「じげもん」とは長崎弁で「地元の物(者)」)に恵まれています。